星空の羊羹

 舞奏の稽古は平日だと普段19時ころに終わる。休日は午後を稽古に当てることが多く、夕方に解散する。日によっては残ってもう少し練習することもあるし、舞奏披が近ければもっと長くやることもある。
 土曜日の今日は、昼過ぎに集まって三言と鵺雲さんと三人で合わせ、それから鵺雲さんに用事があるということで早めに解散した。そのまま帰っても良かったけれど、僕は残って練習することにした。何度も合わせる中で僕が足を引っ張っていることに気づいていた。1時間ほど三言も練習に付き合ってくれたけれど、リストランテ浪磯でバイトがあるからと先に帰って行った。それからまた1時間ほど僕は1人で舞う。
 夕日が空を赤く染め切った頃、スマートフォンにメッセージが届いていることに気づいた。送り主は比鷺だった。
『今日うち来れる?』
 なんだろうと首を傾げつつ、『今からならいいけど』と返信した。あとはもう家に帰るだけだった。



 比鷺の家は浪磯駅のすぐ近くにある大きなお屋敷だった。チャイムを鳴らすと比鷺が出てきて彼の部屋に招いてくれた。比鷺の部屋には高性能なパソコンが置かれたデスクがある。その隣のスチールラックにはゲーム機も並んでいた。その他にはベッドとローテーブルのあるさっぱりとした部屋だ。デスクの周りは物が多いけどちゃんと片付けてあるからえらい。
「ちょっと待ってて」
 比鷺はそう言って一度部屋を出るとすぐにお盆を持って戻ってきた。
「これ貰いもんらしいんだけど……」
 お盆の上には緑茶の入った湯飲みが2つ。そして皿の上に夜空があった。
「何これ」
 僕は思わず声を上げた。四角形のそれは透き通った深い青のゼリーに銀箔が光っている。横から断面を見ると下層は羊羹だ。それは手のひらに載るくらいの大きさをした星空だった。
「天の川の羊羹だって。俺はあんまり甘いもの好きじゃないしさ。お前はこういうの好きだよなーと思ったから呼んだの」
「ありがと……。でも、お菓子が贈られてくることにもっと感謝しなよね」
 照れ隠しで僕はつっけんどんにそう言った。僕のことを思い出して呼んでくれることが嬉しかった。
 添えられていた青竹の菓子楊枝を羊羹に刺すのが惜しくて僕はスマートフォンで写真を撮った。光の具合で上層のゼリーは角度によって色を変えた。深い青、薄く透き通る青、細く斜めに見える紫。
「なんか勿体無いね」
 僕の言葉に比鷺は頷いた。
「わかる」
 意を決して僕は菓子楊枝で羊羹を縦に切り、先で突き刺すと口に運んだ。下層の羊羹部分は小豆のしっとりとした上品な甘さが感じられる。上層は甘すぎないさっぱりとしたゼリーで、口の中で2つの食感が混ざり合う。
「美味い。はあ……稽古のあとはやっぱり甘い物だよね」
 今日はだいぶ長く稽古をしていたからくたくただった。甘いものが疲れた体によく沁みる。
「ん……お疲れ様」
 比鷺はお盆の上にあるもう1皿──こちらにも羊羹が載っている──を僕の方に差し出した。
「俺の分も食べていいよ」
 遠慮なくそうさせてもらう。スイーツだってやはりその価値を理解している人間に食べてもらいたいよね。
 比鷺はちょっとだけ迷うそぶりを見せてそれから僕に告げた。
「あのさ、三言と、兄貴と……舞奏やってて楽しい? 無理してない?」
 その問いに僕はちょっとだけ動揺した。想定していない質問だったのもあるし、一方で何度か自問した問いだったからだ。もしかしたら僕のTwitterのツイートを見たから比鷺は聞いたのかもしれない。
 最初に僕の目の前にあった皿は空っぽになっている。比鷺が譲ってくれた彼の皿に載った羊羹に楊枝を刺した。
 僕はこの星を模した銀箔の欠片だ。天の川を流れる名前も知らない小さく輝く星屑の1つ。方角を示すこともできない。ちっぽけな星だ。
「楽しいんだよ。舞奏が。三言がいてくれる。鵺雲さんもすごい覡だ。だから見惚れてしまう。手が届かなくてもああなりたいと思ってしまう」
 楽しいからやめられない。決して自分は北極星にもシリウスにもなれない。それでもなお、星に焦がれ星になることを諦められない。だから舞い続ける。櫛魂衆を追い出されるまで、いや──きっと用無しだと捨てられても僕は諦められないだろう
 僕は星空を丸呑みにした。
「俺はお前だって星だと思ってるよ……。きらきらしてて眩しいもん。この星空みたいで。俺は──ずっと忘れないと思う」
 比鷺の瞳には憧憬が浮かんでいた。誇らしいね。比鷺や遠流が僕に歓心を向けてくれるなら、それだけで十分僕の力なるんだから。
「忘れないでいてよね。僕のことも」
 僕の言葉に比鷺は頷いた。
 僕は忘れないよ。この羊羹も、比鷺が例えてくれた星空も。ずっと。