シェリー酒

 櫛魂衆との舞奏競の後、闇夜衆は昏見の提案で打ち上げをすることになった。残念ながら祝勝会とはいかなかったけれど、皋も素直に昏見の提案に乗った。萬燈もやけに乗り気で結局打ち上げは舞奏競のすぐ翌日にセッティングされた。昏見から送られてきた打ち上げの会場は小洒落たレストランだった。こと食事に関して言えば昏見に任せて失敗したことはない。
 皋があまり足を運んだことのないエリアにある店だったので、念のため早めに家を出てきたけれど、道に迷うこともなくすんなりと目的のレストランは見つかった。まだ、約束まで三十分ほどある。時間を潰してからまた来ようかと思ったが、昏見からスマートフォンに連絡が来ているのに気づいた。
『早く着きすぎちゃったので、お店の中で飲んでますね。』
 それを見て外で時間を潰すくらいなら、と指定された店のドアをくぐった。
 出迎えたウエイターに昏見の名前を告げると奥の席に通された。昏見は落ち着いた私服姿でグラスを傾けながらスマートフォンを見つめている。暗めの照明と合間って、どこかアンニュイな雰囲気を感じさせた。それは皋にというよりも舞台の上で観囃子に向ける表情により近いような気がした。
 そんなことを思っている間に、昏見は皋を見つけて破顔した。花が咲いたようなちょっと子供っぽい笑い方だ。これはいつも昏見が皋に見せる表情に近かった。
「所縁くん、早いですね! もしかして遠足の前日は眠れないタイプですか?」
「お前もな」
 昏見の軽口に皋も軽い調子で返す。
「萬燈先生は編集部でお仕事の打ち合わせが終わってからくるそうです。時間通りでしょう、あの人は」
ウェイターがドリンクメニューを持ってくる。「またお決まりの頃に」とメニューだけを置いてまた厨房の方へと下がっていった。
 昏見の手元にはワイングラスがある。中身は赤ワインでも白ワインでもなく琥珀色の酒が入っていた。
「それ、何飲んでんの?」
 メニューの中からノンアルコールのものを探しながら尋ねる。
「シェリーですよ。ここ、スペイン料理のお店なので」
「へえ」
 皋もワインは何かの場で付き合い程度に飲んだことがあるが、シェリー酒を口にしたことはなかった。日本ではなかなか目にすることの少ない酒だ。食前酒としてよく嗜まれるという何かの小説で得た知識を持っているくらいだ。
 だからこれは好奇心が半分、もう半分は打ち上げという言葉に唆された気まぐれだった。
「一口頂戴」
 昏見はふっと虚をつかれた顔になった。その様子にいつもの分をやり返した気持ちになる。
「どうぞ」
 昏見は一瞬見せた悔しそうな顔を引っ込めて、バーで見せるような手慣れた仕草で皋の方にワイングラスを滑らせた。いざ受け取ると、そこでやり込めた気持ちは萎んでしまって、ワイングラスをどうしたものかと持て余してしまう。
 それでも皋は舐めるように一口だけシェリー酒を化身のある舌に乗せた。痺れるようなアルコールの刺激と嗅いだことのない不思議な香気。ほんの少し口に含んだだけなのに、酔いが回ってしまいそうだった。
「いかがですか」
「ん……いいんじゃないか?」
「アルマセニスタ・オロロソ・デル・プエルトですよ」
 昏見は皋からグラスを取り返すと楽しそうにその酒の名前を呟いた。呪文のようなそれは、きっと一晩経ったら忘れてしまうだろう。けれども、この夜は──きっと闇夜衆にとって思い出深い忘れられない夜になるという確信が皋にはあった。
「所縁くんも飲みますか?」
 皋は首を振るとウエイターを呼ぶ。いつもの通りジンジャーエールを。羽目を外しても良い夜だけれど、それ以上にきっと忘れたくない夜になるから。