あんパン・激辛カレーパン

「皋先生、ただいま戻りましたー」
「おかえり」
 加登井が室内に入ると皋所縁はテーブルの上に広げられた見取り図と睨めっこをしていた。その姿は小一時間前に加登井がこの部屋を出た時とほとんど変化がない。
 加登井の雇い主──名探偵皋所縁は怪盗ウェスペルとの三度目の対決と相なっている。予告状に書かれていた犯行時刻は今夜。皋は今朝から絵画が保管されている屋敷の一室を借りてウェスペルの侵入経路を押さえようと捜査を続けていた。
「はい、皋先生。あんパン」
 皋の前に袋を開けたパンを差し出す。彼はほとんど顔を上げずパンを受け取るとそのまま口にした。
「何これ! 辛っ!」
 皋は手元のパンを見る。パッケージには燃える炎のイラストとともに大きく「激辛!」と書かれている。中身もパン粉のついた揚げパンだ。
「食事くらい落ち着いて摂りましょうってことですよ」
 加登井はキャップを開けたペットボトルのお茶を皋に手渡した。こうでもしないと彼は思考を止めないだろうと思っての、騙し打ちだ。10分──いや、5分くらいでいいから一息ついてほしい。
 加登井は激辛カレーパンを回収してあんパンを渡すつもりだったが、皋はもう一口カレーパンに齧り付いた。
「それ、辛くないです?」
 別に無理して激辛カレーパンを食べさせたかったわけではない。少し気を緩めて欲しかっただけだったし、もっと言えば食べる前に気づいて欲しかった。怪盗ウェスペルのことになると彼は根を詰めすぎるきらいがある。
「辛いけど美味いよ。びっくりしたけど、食べられないような辛さじゃないし」
 皋の言う「美味い」には1ミリの説得力もない。おそらくコンビニで売っている食品であれば皋は大体美味いと言うだろう。加登井は1つ溜息をついて匙を投げた。
「あんパンもありますよ」
 加登井がそう言ってあんパンを差し出すと皋は素直に受け取った。お腹が空いていたらしい。あっという間にあんパンは皋の腹の中に収まって、彼は再び机の上の見取り図に向けられた。
 多分皋はカレーパンの味もあんパンの味も覚えていないだろう。なんなら何を食べたかすら、もうこの瞬間には彼の頭の中から消えている。
 それでも、またこういうことがあるのなら、彼が美味いと言ったカレーパンを買ってこようと加登井は思った。皋は覚えていなくても、加登井は頭の片隅で覚えておくので。